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音楽

私にとって、「音楽」って何なんだろうとよく考えます。

ここでの「音楽」はどちらかと言えば、聴く方ではなくて自分が演奏する方の話

 

 

有り難いことに、音楽や楽器の経験に関しては恵まれている方だと思います。

 

 

4歳からピアノを習い始めました。自分から習いたいって言ったらしい。

高2まで続けました。

家にアップライトピアノもありますし、今でも弾きます。

ピアノって、大体ショパンとかバッハとか、クラシックが多いけれど、

私は多分あまりクラシックが好きではなかったんだと思う。

だいぶ昔から自分の好きな歌やゲーム音楽耳コピしたりしていました。

絶対音感があるとは言い切れませんが、相対音感なら間違いなくあります。

小学校の音楽祭や全校朝会、卒業式ではよく伴奏もしていました。

中学の合唱祭もやってたな、合唱祭の委員会もやりました。

高校の文化祭ではゲーム音楽のメドレー作って吹奏楽アレンジして演奏したり。

 

前後しますが、ピアノだけではないです。

小学4年から吹奏楽部に入り、トロンボーンを3年間やりました。

本当はトランペットをやりたかったんですけどね。

まあここでの3年間は、人間関係は正直最悪だったけれど、

楽器を練習するのは楽しかったし、ソロを任せてもらえた時は嬉しかった。

 

中学に入って、同じく吹奏楽部に入りました。

卒業する時、顧問の音楽の先生に、「中学に行っても続けなさい」と言われたので、

トロンボーンをやりたかったんです、どうしても。

他の選択肢を考えていない位。

希望パートの欄、第二希望も第三希望も特になかったから、

小学生の時に書いたのと同じでいいやと思って軽い気持ちでパーカス、ホルンと書きました。

そしたらパーカスになっちゃった。確かパーカス希望者が少なかったからだったと思います。

ショックでした。嘘だと思いたかった。何より、小学校の先生や親にも、

「中学でも続ける」と思われていたから。私自身ももっと上手くなりたいと思っていたから。

後から聞いた話ですが、親は、中学でも続けるなら楽器が必要だろうと思って、

どれくらいお金がかかるかこっそり調べてくれてたみたいです。

周りの期待を裏切ったような形になってしまって苦しかった。

 

でもそんな葛藤もすぐ終わりました。パーカッション=打楽器の楽しさに

すぐに取り付かれてしまいました。単純なやつだ笑

自主的な朝練も放課後の練習も毎日行きました。

パーカスだから決まった自分の楽器があるわけではなく、

普段の練習は練習台とスティック、メトロノーム教則本を使ったものが多く、

楽器を触れる機会は他の楽器に比べて限られていました。

と言っても私の学校は中高一貫の私立だったので、だいぶ恵まれてはいましたね。

地味な基礎練だろうが、楽器の個人練習だろうが、合奏だろうが、

全てが純粋に楽しかった。

いろんな楽器を体験できるのもパーカスのいいところで、

なかなか普通に生活していたらできないような5年間を過ごしたと思います。

 

大学に入って、吹奏楽を続けたかったのですが、書類選考で落とされました。

もうどんな形でもいいから音楽を続けたい、今までやってきた楽器のスキルを

出来るだけ劣化させないような環境に身を置きたい。

そう思って、主な新歓期間が終わっても受け入れてくれる今の軽音サークルに入りました。好きな音楽は軽音寄りだったので、いいかなと思って。

私はあくまで吹奏楽のパーカッションの一環としてドラムをやっていたので、

軽音で適応していけるのかわかりませんでしたが、

有り難いことに何とかやっていけてます。

今まで憧れていたギターやベースを経験することもできるし、

キーボードとしてピアノで学んだことを活かすこともできます。

アレンジや打ち込みなど、新しくいろんな技術を独学ですが学んでいます。

 

 

私の音楽経歴を話したところで、私にとって音楽って何なんだろうって話題に戻ります。

振り返ると、ほとんど自分の希望が通らない状況でやってたんだなあと思いました。

前にライブに行った時、Aqua Timezの太志さんが「音楽の神様がいるなら」って話をしていたけれど、間違いなく私は音楽の神様に見捨てられてる。

実際、私の家系はかなり体育会系で、親戚一同の中では初の文化クラブ所属っていうレベルです。だから元からそういう才があったわけでも環境がそうだったわけでも全くない。

 

じゃあ何で続けて来たんだろう。これからも続けたいって思うんだろう。

 

私の性格が頑固なのはかなり大きいと思います。好きな言葉は「初志貫徹」ですからね。

「途中で投げ出すのはかっこ悪い。あきらめるのはダメだ。」

常に思ってます。

 

そして他にも思い当たることがあります。

 

音楽をやること、楽器を演奏することは、私の承認欲求を満たすことであり、

自己肯定感に繋がるものだったのかもしれません。

 

先程書いたように、私の家系は体育会系なので、楽器を演奏できる人はあまりいません。

だから少しピアノが弾けるだけでも褒められる。

部活の一員として演奏会に出たり、コンクールのメンバーになったりすると

必ず親や祖父母は観にきてくれます。

小学校の時の伴奏やピアノの発表会では、親戚は勿論、友達のご家族からお褒めの言葉をもらうこともよくありました。

 

今もそうです。ドラム人口が少ないから皆からバンドに誘ってもらえる、

吹奏楽部時代に大方の基礎は習得しているし譜読みやイメトレもして練習に臨むから、ある程度は信頼してもらえる。

打ち込みや編集の経験がある、数少ないサークル員だからそれなりの需要がある。

 

音楽をやっていれば、親、親戚、友達、知り合い、誰かに認めてもらえた。

認めてもらうことによって自分の自信にもなっていました。

スポーツはあまり得意ではなく、勉強もすごくできるという訳ではなかった私にとって、

1番自分が自分らしくいるために、頼っていたものが音楽だったなあと思います。

 

高校生の時、音大に行かないかと何度か言われましたが、断りました。

お金がかかるというのが1番初めに浮かびました。

そしてクラシックを演奏するよりも、自力で試行錯誤しながら

新しいことをやっていきたいと思う方が強かったのもあります。

時々オーケストラ部にヘルプで参加していたので、

クラシックを演奏する楽しさもとてもよくわかるのですけど。

実際は大学に入ってまた吹奏楽に傾いたのですが、

入団拒否され、辿り着いた今の場所は自分がその時理想としていた場所に

近いのではないかなとぼんやり思っています。

今は好きな音楽を好きなやり方で好きなようにできる、その楽しさを知った気がします。

承認欲求や自己肯定感の話、今の楽しさの話も含めて、

もし音大に行っていたら体験し得なかったものだろうと思います。

まあそれはそれで新しい発見があるかもしれませんが、

私は今の場所にいることができて良かったなあなんて考えてます。